教育・研究

経済学部教員コラム vol.73

2015.08.24 経済学科 渡邉 憲正

「隠れて生きよ」

 以前、『言葉がひらく哲学の扉』という書物を友人たちとつくったことがある。このときに、何とかして書きたいと思いながら果たせなかったのが、快楽主義者エピクロスの、この言葉である。これはもちろん、この世から隠遁して暮らせというもの――エピクロス派は隠遁生活を営んだにせよ――でも、隠れてこそこそ悪さをしろと勧めるものでもない。そうではなく、人知れずとも立派に生きよということである。
 
 ごく一部を例外として、ほぼすべて、99.9%の人は歴史に名を残さない(歴史家は歴史のほとんどを知らない)。だが、だからその生活に意味がなくなる、というわけではない。テレビや新聞に知られることが生活の意味を与えるのではない。生活の意味は外側の地位や名誉や権力や貨幣によって生まれるのではなく、それを超えたそれぞれの内面から生まれる。これは、地位や名誉などを無価値とするものでないとしても、少なくとも相対化してくれる(ここにある相剋は何やら難しいが)。とくに肝心なのは、親密圏(家族、友人)における生活である。こう考えると、「隠れて生きよ」はすべての人に、生活をそれぞれが支えるよう励ます言葉に変わる。縄文人はたぶん人知れず生き抜いた。同じことを、情報とメディアの世界に生きる現代人に特有の困難はあれ、実現することは決して不可能ではない。少しいじわるく言えば、われわれはみな、歴史家を「欺いて」生活しているのである。

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