教育・研究

経済学部教員コラム vol.29

2014.02.10 経済学科 石井 穣

「文明の力と個人の力」

こんにちは、経済学史という講義を担当している石井と申します。経済学史というのは、経済学という学問の歴史を考える学問です。言い換えると、経済学に関連したこれまでの知的な営みの歴史を考える学問で、知性史とか科学史の一環といえるかもしれません。英語ではHistory of Economic Thoughtが一般的です。

 

現代の学問はかなり細分化されているので、「経済学史」というだけでは、実は何を研究している人なのか、まだわかりません。私は経済学の歴史のなかでも、19世紀前半のイギリスを中心に展開した、古典派と呼ばれる時代の経済学を取り扱っています。19世紀前半というと、そうですね、世界史の授業でも習った、産業革命の時代です。蒸気機関や紡績機などの新たな技術が、生産や消費のあり方を大きく変えていった時代ですね。
この時代の学説を研究して感じることの一つは、文明として達成された技術的成果を、いかに個人の力として、個々人の生活を豊かにするために利用しうるかということです。この問題は現在においても、200年近く前と同じように存在しているといえるでしょう。

 

ここで余興をひとつ。カール・マルクスという経済学者は「経済学批判序説」という文章のなかで、はるか遠い昔のギリシャの神々に人々はなぜ惹かれるのか、ということを記しています。さまざまな自然の力を支配したいという人々の欲求が、古代ギリシアの神々を生み出したとすれば、科学によってそのような自然力を支配することに成功した後には、そのような神話は用済みになるはずです。しかしそのような神話が依然として人々を惹きつけるのはなぜか、と思案してマルクスは、人々は過ぎ去った時間として子供時代を懐かしむのと同じように、人類の幼年期である古代ギリシアの時代も「二度とかえらない時代として永遠の魅力を発揮」(武田隆夫ほか訳『経済学批判』岩波書店, 1956年, 326-9ページ)しているという、何ともセンチメンタルなコメントを残しています。

 

確かにそういう側面もあるのでしょうが、もっと根本的な原因もあるように思います。人類が文明としてさまざまな自然力を支配するのに成功したとしても、個人の力としてはまだ疎遠な存在です。例えば、停電がなかなか復旧しないと不便ですよね。もし自分ですぐに大量の電気を起こすことができれば、復旧するのでしょうが、そんなことはまず不可能ですよね。文明として達成された技術的成果を個人の力として、いつでも利用したい時に使うことは、なかなか難しいわけです。さまざまな自然力は、個人にとってはなお疎遠な力だからこそ、自然力を自由に操る古代ギリシアの神々は、科学が発展した近代以降においてもなお人々を惹きつけてきたということではないでしょうか。

 

かなり話が飛躍してしまいました。しかし、このような人々の願望のうちにも、文明として達成された力をいかに個人の利用しうる力とするか、という問題が潜んでいることがわかります。過去の学説を考えることも、意外に面白いと思いませんか?

 

(経済学科 石井 穣)

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