経済学部教員コラム vol.37
「リテラシ―(literacy:読み書き能力)教育について」
サルと分化したばかりの大昔はともかく、数万年前からは話し言葉のない人間社会はなかった。しかし、書き言葉のない社会はいっぱいあったし、今もある。日本も、ほんの1500年前まではそんな社会だった。小学校1年生までの子どもたちの社会も、やはりそんな社会である。
ヒトは、書き言葉を使うことで、自分の思考や感情を眼前の文章として客観的に眺めることができるようになる。そして、書き言葉は操作性が高いので、それをあれこれと操作することで、思考や感情に脈絡をつけ構造化していくことができるようになった。さらに、書き言葉の一種である数字(さらに数学記号や化学記号)は、数学や科学の発達をもたらした。
現在、ケータイを用いて学生たちは日常的に文を書いている。これほど一般人が日常で文字を書いていた時代は、かつてなかった。しかし、それは二段落目の意味での書き言葉ではない。思いつくままに文字を打ち推敲することもなく送信する短文は、むしろ話し言葉に近い。
現在、中学と高校の英語教育は会話中心になり、かつてのラテン語教育や漢文教育が持っていたようなリテラシー教育的意義が消失している。そうした時代の勢いは、「文字ある無文字社会」の到来を招きかねない。経済学部では、二段落目の意味でのリテラシーの教育をおこないたいものだ。