経済学部教員コラム vol.72
奈良時代のパンデミック
2020年1月から新型コロナウィルスが猛威を振るっています。近年流行して社会に影響を与えた感染症としては、2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)や2012年にMERS(中東呼吸器症候群)が流行しました。これらは基本的に1年間で終息しました。それゆえ、コロナについても当初は長引いても1年で終わると考えた人が多かったと思います。
しかし、歴史を振り返ると感染症の流行とはそのようなものではなかったことが分かります。14世紀ヨーロッパの人口を激減させたペストや、20世紀前半に世界中で流行したスペイン風邪はニュースでも取り上げられています。ペストはヨーロッパでは1347年から1353年まで流行し、最大で人口の6割が死亡したともいわれています。スペイン風邪は第一次世界大戦化の世界に広がり、1918年から1921年まで多くの死者を出しました。
日本の歴史で特に注目されるのが、聖武天皇のころ、735年から737年にかけて流行した天然痘です。735年夏に九州で発生した天然痘(当時は疱瘡と呼ばれました)の流行は瞬く間に西日本に広がり、死者を多数出しました。736年は比較的鎮静化したようですが、737年に劇症化して再流行します。当時朝廷の政権中枢を担っていた藤原武智麻呂・房前ら四兄弟が立て続けに死んだのはこの時です。和泉(現在の大阪)では死亡率を45%と計算する研究もあります。なお、これ死亡率であり、かかった人が全員死ぬわけではないので、罹患率(感染した人の割合)にすれば90-100%という絶望的な数値になります。
感染症の流行は決して1年で終わるようなものではなかったのであり、われわれは長期的な視座でコロナに向き合う必要があったのです。
なお、736年に新羅(朝鮮半島)に派遣された外交使節が帰国後に天然痘で死んでいることから、737年の流行は朝鮮半島から持ち込まれたものであるという考えが古くからありました。しかし、よく考えるとその前年の735年にすでに日本で流行しており、外交使節の中に往路で死去していた人がいたことが確認できます。むしろ日本から新羅に持ち込んだ可能性があるのです。ちょうど外交使節の帰国と再流行の時期が重なったことから誤ったイメージが作り出されてしまったといえるでしょう。
社会不安が生じるなかで誤った情報が拡散し、間違えた事実が後の時代まで伝えられることになりました。感情や思い込みではなく冷静に事実を分析する必要の大切さを改めて感じるのです。