Column

経済学部教員コラム vol.7

経済学部教員コラム vol.7

細谷 早里

「異文化について考えるとき」

2006年から2007年にかけてフィンランドヘルシンキ大学で研究活動を行いました。そのとき以来、公私にわたり何度もフィンランドを訪れています。滞在中に親友の一人となった韓国人の遺伝学研究者と休暇を過ごすのもその目的の一つです。今年の夏はフィンランド第2の都市トゥルクから船に乗りオーランドという島へ二人で旅行をしました。

年齢も同じで、大学の研究者である彼女は何でも話し合える心許せる友人です。性格も、生活のパターンも、好みも相違点は多いのですが、ときには他の人には言えないようなアドバイスをはっきりと言ってくれる貴重な友人です。お互いが別の国の出身であることを意識したこともありませんでした。先日彼女と一緒に語り合っていたとき、共通のフィンランド人の知人から、韓国人と日本人が仲良くしているのを見ることができてうれしいと言われました。ちょうど竹島問題がニュースで頻繁に取り上げられていた頃のことです。私たちは友情と政治問題は別だと当たり前のように答えました。

フィンランド、オーランド島

様々な国に知人や友人がいますが、親しくなる人たちとは国籍を意識することなく長いおつきあいが続いています。異文化間コミュニケーションの世界では、文化的背景の異なる人とお付き合いをするにあたっては、自発的にお互い敬意を示し、相互に影響を与え合い、道徳的で利他的な行動をとることでよい人間関係を築くことができると考えられています。しかし、そのときに重要な鍵を握るのは「個人的・文化的アイデンティティを持つ」ということです。つまり自分自身をある程度理解していなければポジティブな人間関係を築くことは難しくなるということです。「自分とは何者か」それを理解するには様々な人との出会いが必要となるでしょう。

まだインターネットがなかった時代に大学生だった私はどうしても海外に出てみたくてしかたがありませんでした。念願かなって初めて出た外国アメリカカリフォルニア州で遭遇したのは、黒ずくめの服装をしてバスに乗り込んできたアジア系の人たちの集団でした。おそらくアジアの国のどこかの出身であるということはわかりましたが、彼らがどこから来てどのように暮らしているのか全く想像ができませんでした。その後彼らがインドシナ難民でラオスの山岳民族モン族の人たちだということがわかりましたが、そのときの体験は私の異文化への興味を駆り立て、自分とは違うものに関心を持つようになりました。世界各国からの留学生が多い大学で学んだ私は当たり前のように様々な背景を持った人たちと接し、親しくなりました。「なぜあの人はそのような考え方をするのだろうか」「自分の考え方は間違っているのだろうか」「このように考える自分とは何者か」とさまざまな疑問は生まれてきました。しかし、友人として親しくなるにつれて、考え方の違いは文化の違いというよりはその人の個性として自然に受け入れられるようになっていました。若き日のこのような経験が私の原点となり、自分の立ち位置を決めてくれているように思います。異文化間教育を研究テーマとするようになったのもそんな私の経験があるからだと思います。

今は、多文化社会における教員養成について研究をしています。昨今価値観の多様化と言われるようになっていますが、それでも日本の教育現場ではなかなか多様性が受け入れられていないように思われます。人間の成長の比較的初期の段階で多様な価値観や考え方に触れることができないのはとても残念な気がします。そのような環境に身を置いたとき、人は自分を客観視することができ、「自分とは何者か」と考えることができるからです。この質問は私たちが自分の生き方を見つけようとするとき、避けて通ることができない質問でもあるのです。

「自分とは何者か」を少しでも理解し、自己のアイデンティティを持つことができるとき、異なる背景や考えを持つ人たちとの出会いは恐れではなく、むしろ楽しみとなります。異文化を持った人たちと個人レベルで楽しくおつきあいできるようになれば、楽観的すぎるかもしれませんが、国際的な問題も少しは減るかもしれません。

(共通科目教室 細谷 早里)